万有引力の殺意(光文社)

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「何か音がしたよ」と、娘が言った。「音?」「何か落ちたみたい」「何が落ちたっていうの?」「知らない。でも---」道が曲がって、エレベーターホールに入る口が目に入った。「---まあ」母親が足を止めた。「あれだよ、今の音」---男が、うつ伏せに倒れていた。ちょうど、建物から道へと足を踏み出したところらしく見えた。紺の背広、ネクタイが、肩の辺りからはみ出して見える。「何てこと・・・・」母親は、ポカンとして、その光景を見ていた。男の頭の両わきに、二つに割れた植木鉢が、転がっていた。中の土が、砕けたように飛び散っている。「落ちて来たんだね」娘は上の方を見上げた。出入口の上は、各階の廊下である。高い手すりは、かなり厚さがあるので、その上に植木鉢を並べている人もいた。「危ないと思っていたのよ、こんなことが、いつか・・・・。でも・・・・」母親は首を振った。「お母さん、あの人、死んだの?」と、娘は言った。「え?---あ、そうね。どうかしら」「救急車、呼んだら?」「そう。---そうだね」母親は、やっと気が付いたようだ。「あんた、ここにいなさい」娘を置いて、母親はこわごわ、倒れている男の方へと歩いて行った。死んでいるんじゃないかな、と娘は思った。だって、生きていたら、少しくらい動いたり声を上げたりするもんだ。でも、その男は、全くそんな気配もなかった。娘は、母親が、へっぴり腰で男の方へかがみ込むのを、何だか照れくさいような気分で眺めていた。「あの---もしもし」なんて声をかけたりしている。電話かけているんじゃないんだから!・・・?、普通こういうときは「あの---もしもし」って、声かけますよね、電話じゃなくても?まあ、いいや。・・・・母親が、しゃがみ込むようにして、男の顔を覗き込んだ。うつ伏せに倒れているので、顔は半ば下を向いて、よく見えないのである。娘は、母親が、なぜだか、「アッ!」と声を上げるのを聞いた。立ち上がってよろけそうになる。「お母さん。どうしたの?」娘はびっくりして駆けて行った。「いいえ・・・・何でもないのよ。別に、何でも---」母親の顔は、しかし、真っ青だった。「この人---」「死んでるようだわ。それでね、お母さん、びっくりしちゃって・・・・。でも、一応一一九番しないとね」母親は、いやに早口で言った。お母さんったら、何かごまかしている。---娘は直感的にそう思った。・・・さすが、この娘鋭い。この娘、小学校五年の女の子だが、禁止されている、校庭の木に登って、枝が折れて落っこちて、少し怪我をしたのだ。呼び出しをくらった母親に連れられて、団地の家に帰る所だったのだ。さあーーて、何があったんでしょうかね?

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