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◆この指にとまった幽霊たち
〈野々宮図書館---誰でも自由にお入り下さい〉〈入るな!立入禁止〉二枚の、相反する札の前で、彼女はどうしていいか分からず、しばらく立ったままだった。・・・・「失礼します」と、声を出してみた。「どなたかいらっしゃいますか」大声を出したつもりが、実際は蚊の鳴くような---というほどなくても、ごく普通の話し声を少々甲高くしたに過ぎなかった。その声でも、この静けさの中なら、充分に建物の奥まで響いただろう。「誰かいませんか」・・・・だが、返事はなかった。---彼女はため息をついた。どうしたものだろう?勝手に上がり込んでいいものやら・・・・。「---何か用かね?」と、突然声をかけられ、彼女は、思わず、「キャッ!」と、声を上げてしまった。「いや、失礼」と、その男は笑って、「びっくりさせるつもりじゃなかったんだ」四十代半ばと思えるその男は、何となくこの建物には似つかわしくない印象を与えた。・・・・「私は、ここの持主、野々宮さんの弁護士なんだよ」弁護士。なるほどね、と彼女は思った。いかにもそんな感じだ。・・・・驚いたことに、この建物の一階に当たる部分は、普通の家になっていた。板貼りの床と壁の、古い洋館という造り。---居間、食堂、台所・・・・。「ここが寝室だ」と、弁護士がドアを開ける。やたらに大きなベットが二つ、並んでいる。「あの・・・・」「何だね?」「ここ---図書館じゃないんですか?」まさか、〈野々宮図書館〉ってのが、人の名前で、そこでお手伝いさんをやれ、って言われるんじゃないでしょうね!「図書館はこの地下にあるよ」「地下?」「そう、地下がかなり広い書庫になっている。君は、そこを管理するんだ」「はあ・・・・」地下室か。閉所恐怖症ではないけれど、陽の当たらない所は、あまり好きとも言えなかった。「で---ここは、どなたが住んでおられるんですか?」彼女の質問に、弁護士はちょっと面食らった様子で、「君、本当に何も聞いてないんだね」「そう申し上げましたけど」「君が住むんだ」「私?」今度は彼女の方が面食らう番だった。「ここに住んで、君が管理人の役をやる、ということだ。もう持ち主の野々宮氏は亡くなって、ここは財団のものだ。しかし、もう利用する人もいないしね」「閉めないんですか」「それが、野々宮氏の遺言で、ここはずっと開けておかなくちゃならないのさ」・・・・「---こんな広い所、一人で住んだら、持て余しそう」と、彼女が言うと、弁護士は、ちょっと妙な笑顔を浮かべて、「なに、大丈夫さ。その内、仲間ができる」と言った。「え?」「ここはね、幽霊が出るんだ」・・・??やばー!いったい、何が起きるんでしょうかね?
◆明日に希望を
「どうだい、最近は?」と、彼氏が訊いた。「まあまあよ。どうして?」「いや、例のさ。---幽霊は出ない?」「出ないわね。待っているんだけど」と、野々宮図書館で働く彼女は首を振った。「変わった趣味だな」---ここに集められた本は、どれもいわくのあるものばかりで、犯罪の絡んだものも少なくない。そういう本を、埃の中から拾い出すと、不思議に彼女の所へ、誰かが訪れて来るのだった。彼女も人並みに怖がりではあるが、また人並みに(人並み以上に、か)好奇心も持っている。「それに、私が恨まれる筋合いじゃないもの。幽霊だって私に悪さはしないわよ」と、彼女は言った。「---あ、お茶、なくなった?」「うん、もう一杯もらおうか。---でも分かんないぜ。誰を、ってんじゃなくて、世間そのものを恨んで死んだ幽霊だったら、手当たり次第に襲うかもしれない」「あなたはね、ホラー映画の見過ぎなのよ。ともかく、幽霊って、哀しいものなんだから、本来は」「そうかなあ。全部が全部ってわけでもないと思うよ」「へえ。よく知っているんじゃない」と、彼女がからかった。「玄関の方で音しなかったか?」「そう?」と、彼女は振り向いて、ちょっと様子をうかがっていたが、「気のせいよ。古い家だから色々---」と、目を彼氏の方へ戻すと---白目をむいて、顔の崩れかかった死者がじっと彼女をその見えない目でにらんでいた。キャーッ、と叫んだかどうか・・・・。彼女にもよく分からなかった。目の前が真暗になったと思うと、彼女はもののみごとに気絶していたのだから・・・・。ふと目を開く。誰かが、彼女を見下ろしていた。---どうしたんだろう、私?「大丈夫ですか?」と言ったのは、十六、七歳と見える、色白の少年だった。「ええ・・・・。私・・・・」「ここに寝かされていたんですよ」ソファの上だ。---どうしてこんな所に?「私・・・・一人だった?」「ええ。これがテーブルの上にありました」と、少年が差し出した紙を見ると、〈ごめん!君をちょっとおどかしてやろうと思って、お面をつけたんだ。まさか気絶しちゃうとは思わなかった。この償いは必ず!ごめん!許して!〉彼女は、カーッと赤くなって、「殺してやる!」と、怒鳴った。「首の骨をへし折ってやるから!」少年が、後ずさりして、「あ、あの・・・・僕、帰ります」と、青くなっている。「あら、いいのよ。ごめんなさい。これはね、個人的な問題なの。---ところで、あなたはどなた?」彼女は、打って変わって優しい口調で言った。・・・さて、この少年って、何なんでしょうかね?いよいよ本物の幽霊かな??
◆殺人を呼んだ本
「何だってのよ!」広い店内に響き渡るような凄い声が彼氏を飛び上らせた。もちろん他の客もだ。「私が盗んだっていうの?ふざけんじゃないわよ!」「あの声・・・・」と、彼氏は呟いた。「もしかしたら---」もしや、ではなかった。声のした方へ駆けつける前に、彼氏にはそれが当の野々宮図書館で働く彼女のものだと分かっていた。「何で私がこんなもん、盗まなきゃいけないわけ!馬鹿にしないで!」「おい・・・どうしたんだよ」と、彼氏は声をかけた。「あんたは黙ってて!」彼女は本当に怒っていた。怒ったら怖い。何しろ、真面目人間である。といって、頭ガチガチの優等生ではないが、プライドというものも、相当に高い。「私はね、図書館で働いているんです。本が好きで、本を愛してます。どんなクズみたいな本だって、それなりに一生懸命買ってもらおうとして本屋さんの棚で頑張っているのは、とってもいじらしいと思っているんです」彼女の言葉はかんで含めるようで説得力があった。どうやら、彼女が本を万引しようとしたと疑われたらしいのだが、とがめ立てした相手が悪かった。集まった客たちも、彼女の熱のこもった話しぶりに、うんうんと肯いている。相手の店員は、腕組をして、苦虫をかみつぶしたような顔をしているばかりである。「私がどうして、本を盗まなきゃいけないんですか?私だって人間ですから、罪を犯すことはあります。カッとなったら、人も殺すかもしれない。でも子供は殺しません。私にとっては、本は子供みたいなものです。そんな物を、どうして私が取ったりするんですか!」彼女の目には、悔し涙すら光っている。「そうよ!」と、周囲から声が飛んだ。「ひどいわ!」「客を泥棒扱いするのね!」と、たちまち大騒ぎになる。「この本が、私の買物袋に入っていたのは事実です」と、彼女がポンと叩いたカウンターの上の本を見て、彼氏は仰天した。たった今、彼氏が見ていた写真集---十五歳の少女アイドルスターの写真集だったからだ。「でも、私、ごらんの通り、財布の中に充分お金を持ってます。それに、女の私がどうして、こんな女の子の写真集をほしがるんですか?」「いや、しかしね、事実として---」と、店員としても抵抗を試みたが、「まだいじめるのか!」と、客の方から声が飛んだ。・・・・「---分かりました。分かりましたよ!」店員の方は、ムッとしながらも、とても勝ち目はないと悟ったらしい。「じゃ、もういいですよ、今度は目をつぶるから」これがまた彼女にはカチンと来た。「目をつぶるとは何よ!もう一度言ってごらんなさい!」・・・・。いやー、こわー! ところで『殺人を呼んだ本』の方の話は、どうなったの?
◆隠れんぼうした本
ズバリ一億円!「ちゃんと、銀行の人間に確かめさせたよ。それとも、一枚ずつ数えるか?」と「金持」氏の方が、葉巻などくわえながら、言った。「いや・・・・。信じるよ」と、「貧乏」氏が、力のない声で、言った。「では、約束を果たしてもらおう」と、「金持」氏が、目をギラギラさせている。「分かった・・・・」と、「貧乏」氏は、隣の席へ、「こんなわけだ。お前も辛いだろうが、どうか分かってくれ・・・・」彼女は、何も言わなかった。素直に、「金持」氏の前に押しやられて、じっとしている。「それでは、そのお金をもって引き上げてもらおう。俺はこいつと二人っきりになって、ゆっくり楽しみたい」「貧乏」氏の方は、手提げの、今にも破れそうな袋に、札束を次々に投げ入れた。そして---ふと、その手を止めると、「なあ」と、「金持」氏へ、声をかける。「何だ?未練がましいぞ、別れは充分惜しんだはずだ」「いや、そうじゃない」「じゃ、何だ?」「---乱暴したり、放っておくようなことはしないでくれよ」「当り前だ。一億円の買い物だぜ」と、「金持」氏は笑って言った。「心配するなよ、兄貴」「分かった・・・・」と、「貧乏」氏は言って、残りの札束を袋に入れると、まるで彼女の非難の目から逃げようとでもするかのように、こそこそ立ち去ったのだった。「---さて!」と、「金持」氏は、両手をこすり合わせて、「これでやっと二人きりになれたな。もう誰も邪魔はしない。---分かっているのかね、お前を手に入れるために、俺がどんなに長い間、苦労して来たか」そして、低い声で笑うと、「それも終わった!今、もうお前は俺のものだ。俺はお前を買ったんだからな。どうしようと俺の自由さ。分かっているんだろうな、ええ?」「金持」氏は、手をのばして、彼女を手元へ引き寄せると、「俺が、どんなにこの日を夢見ていたか、分かるか・・・・」と、独り言のように呟きながら、彼女の肌に手を這わせ、優しく愛撫して行ったのだった・・・・。「何かご用ですか?」と、一応訊いてみると、「あいつがここへにげてきたろう!」と、かみつきそうな声を出す。・・・・「何のお話ですか?」と、野々宮図書館で働く彼女は訊いた。「ここへ逃げ込んだことは、分かっとるんだ。さっさと、あいつをここへ出せ!」・・・・「ここにいるのは私一人です。お分かりですか?」・・・・「分かってるんだ!畜生!いいか、憶えていろよ!」年齢に似合わぬ悪態をついて、その初老の男は、引き上げて行く。・・・・「---何だ、あの爺さん」首をかしげながら、中へ戻る。台所に戻って、小さなテーブルについた彼女は、ホッとドックを食べようとして・・・・。「あれ?」見たことのない本が、そのテーブルの上に置かれていたのだ。・・・そうです。さっき来たのは、「金持」氏で、一億円で買った彼女は、なんとこの本だったのだ。そして、この本が、野々宮図書館に逃げて来たのである。さあ、大変だ?
◆長い約束
ここに彼女が就職したのは、管理している財団にとって幸運なことだったろう。本のお化けが出ても、怖がるより面白がっている女の子というのは、そうざらにはいるまい。「じゃ、思い切って、この棚を一段、空けるか!」と、言うと、「そうだね」突然、後ろで声がして、「キャーッ!」と、凄まじい叫び声を上げて、彼女は飛び上ってしまった。「ごめん、びっくりした?」と、ニヤニヤ笑っているのは、彼女の幼なじみで、大学生の彼氏だ。「もう!---何でこっそり入って来たのよ!」彼女は顔を真赤にして、怒っている。「そりゃ、いきなりお前を押し倒して、ものにしようと思ったからさ」「舌を抜かれたい?」「冗談!いくら何でもお前を襲ったりしないよ。命、惜しいもん」「頭に来る人ね、全く」なに、二人とも、ケンカで遊ぶ、という仲なのである。「旨いワッフル、見付けたんだ。食べようぜ」---書庫から上がって、彼女が紅茶をいれていると、「おっ、いい匂いだな」と、顔を出したのは、彼女の上司に当たる四十代の弁護士である。「あら、私、さぼってたんじゃないんですよ。お昼休みを十分少なくしか取れなかったんで、その代わりに---」「いいよ、そんなことは。やあ彼氏」弁護士は、彼女とよくケンカもするが、何となく気が合う。「ワッフル、どうぞ」「やあ、こいつはいい所に来たな」と、弁護士も加わって、時ならぬ「三時のおやつ」。「なかなか旨い」と、彼女がワッフルを頬ばっていると、「ごめん下さい」と、玄関の方で声がした。「誰かしら。---はい」と、彼女は、食べかけのワッフルに未練を残しながら、出て行った。「---失礼します」と、十七、八の娘が、何やら分厚い本を抱えて立っている。「あの・・・・何か?」「ここ、野々宮図書館ですか」「ええ、そうですけど」「じゃ、野々宮さんですか?」「私はただの職員。---ね、ともかく上がってちょうだい」「はあ」「今、ワッフル食べているの。一緒にいかが?」娘は目を丸くした。「---じゃ、その本をここへ?」と、彼女は訊いた。「はい。ここに置いていただければ、と思って」と、娘は言った。「本の代金、二千八百円はいただきたいんですけど・・・・。おじさんが、何だか知りませんが、遺言で、この本を私に遺されたんです」「あなたに?」「ええ、わけ分からなくて」と、娘は首をかしげた。「あ、紅茶もう一杯?---でも、わざわざ遺言に入れるくらいだから、何かわけがあるんでしょ」「だと思いますけど・・・・。母は私に持ってなさい、って。でも、何だか気味が悪いんです」そりゃそうかもしれない。それにかなり大きな本である。部屋に置けば、大分場所をとりそうだ。・・・さて、今度は、どんな本なんでしょうかね?



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