虹に向って走れ(双葉社)

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「おい!まだか!」監督の声は、苛立ちを通り越して、すでにヒステリーの域に達していた。「もうちょっと待ってください」と、返事が返って来る。「畜生!---同じことばっかり言うな!」監督は、タバコを地面に叩きつけて、ギュッと靴で踏みにじった。・・・・小さな湖のほとり、なかなかきれいな所で、春の日差しもほどよい暖かさ、天気にも恵まれ、風もない、と絶好のロケ日和なのだが・・・・。女優が一人、朝から頭痛がするといって、車から出てこないのである。・・・女優のマネージャーが、走って来た。「おい、どうだ?」と、監督が言った。「もうかからないと時間がない」「分かってるんですが・・・・。どうにも頭痛がひどくて、出れない、と言うんです」・・・・「ねえ」と、男優の方のマネージャーが低い声で言った。「頭痛じゃないんでしょ、本当は」「え?」「セリフを憶えてないんじゃない?」女優のマネージャーは頭をかいて、「実は---そうなんです」「やれやれ・・・・」と、監督はため息をついた。・・・・監督は、湖の方へ目をやって、「---仕方ないな。誰か、代りに立っててくれ。後ろ姿で行こう。セリフは後で入れる。・・・・「おい、カメラの位置を変えるぞ!」と、監督は、カメラマンの方へ歩いて行った。「ここじゃだめですか?」「二人の位置が悪い。一方が完全に後ろ姿でないとな。---見せてみろ」と、監督はファインダーを覗いた。「おい、だめだ、これじゃ。見物人が入ってるじゃないか」「すみません。すぐ---」「おい!待て!」「はあ?」「待て!」監督は、じっとファインダーを覗いていた。レンズをズームさせて、「---おい、ちょっと来てくれ」と、男優のマネージャーを手招きする。・・・「覗いて見てくれ」・・・「その子、どう思う?」「どう、って・・・・」「いいじゃないか」「ええ。可愛いですね」「いくつかな。十七か八か」「それくらいでしょ」「---どうだ。あの子を使おう」監督の目は輝いていた。「使うって?」「男優の相手だ」「でも---無理ですよ。あの女優の後ろ姿にしちゃ、あの子、ほっそりしてますもの」「代役じゃない!役者として、やらせてみるんだ」「素人に?」「素質がある。俺には分かる」・・・・こうして、人気女優が、誕生した。代役として出た初めてのドラマで、その子は、素人離れした演技と、新鮮な清潔感を強烈に印象付けてしまった。他のドラマや映画の出演依頼が殺到した。大手の清涼飲料水のCFに登場すると、人気は爆発的になって、すでに一人歩きを始めるのだ。・・・昭和の時代は、こんなことって、普通にあったんですね?でも、この子、ある目的をもって、計画的に、芸能界にもぐりこんで来たのだ。目的を達成できるのでしょうかね?

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